『アメリカのオケが法律家の僕に教えてくれたこと(下)』@論座
昨日の(上)に続いて、LAフィルを題材に、リベラル再生のヒントについて書きました。
きっかけは、ロスフィル経営陣の「『音楽の力』などという「普遍的な価値」は「普遍的すぎるがゆえに力を持たない」という言葉でした。
小さなパイを取り合い続けた結果、社会はどんどん法や政治に無関心になり、また、「わかりやすさ」を求め続けた我々は、逆説的にN国や炎上やポリコレなどの表現の不自由を生み出しました。N国やあいちトリエンナーレについても言及してます。
もう、「わかりにくさ」への忍耐と寛容しかないよ!
そのために、バッハの無伴奏チェロを全曲休憩なしで聴いてみない?という変態みたいな論稿です。
台風で足止め喰らってるしまっている間にでも是非お読みください!
ちなみに(上)はこちら
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『アメリカのオケが法律家の僕に教えてくれた事・上
社会的影響を与える存在を目指すLAフィルがロス市民に受け入れられているわけ』